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2021/06/02

良質なブドウ畑が生み出すのは、おいしいワインだけじゃない。「自然との共生」を目指して

人々が、自然を尊重しながら手を加えることで形成されてきた、日本の里山の風景。草原や田畑、集落などがおおらかに広がるその土地は、人々の営みだけでなく、生態系のバランスを保つためにも、古くから重要な役割を果たしてきました。
日本の原風景とも言えるその自然は、現在ではその多くが失われ、それを取り巻く生態系も崩れつつあります。
そんな状況のなか、「地域・⾃然・未来との共⽣」をテーマにCSV(※1)活動に取り組んできた、シャトー・メルシャンのヴィンヤード(ブドウ畑)が、生物多様性という環境保全の観点から注目を集めています。

 
かつて遊休荒廃地だった「天狗沢ヴィンヤード」。開墾で多様な生態系へ

2017年に新設した天狗沢ヴィンヤードは、山梨県甲州市にあるシャトー・メルシャン勝沼ワイナリーの北側に位置します。
シャトー・メルシャンが展開するヴィンヤードの中でも、800mという高い標高のブドウ畑であるこの天狗沢は、日当たりの良い南向きの緩斜面と、水はけのよい土壌が特徴。栽培環境によって表情が異なるシラーを筆頭に、新たな品種のブドウ栽培に挑戦しています。


(山梨県甲州市の「天狗沢ヴィンヤード」)

そんな天狗沢ヴィンヤードでは、多くの自社管理畑と同様に「垣根栽培・草生栽培」を採用しています。この栽培方法が、「ワインづくりだけでなく環境保全にもつながっている」と、生物学者の楠本良延氏はいいます。
「頭上に枝を張り巡らせていく棚栽培に対して、垣根を作るようにブドウの木を育てる垣根栽培は、その形状により地面にまで日の光が降り注ぐため、背丈の低い植物が生育するための手助けをしてくれるんです」(楠本氏)
加えて、シカのブドウ食害を防ぐ“獣害防止柵”により、一年草や多年草が食い荒らされず、そこに集う昆虫が増加するという相乗効果も。調査データからは2018年に43種類だった植物が、2020年には88種類に。チョウ類の観測も13種類から19種類に増え、今後もさらなる生物多様性の高まりが予想されます。


(天狗沢ヴィンヤードの獣害防止柵を隔てた向こう側[右側]が未開墾の土地。柵を境界に生態系が異なる)

今では自然豊かな天狗沢ヴィンヤードですが、実はほんの数年前までは“遊休荒廃地”と呼ばれる、荒れた元農地だった場所。シカによる食害で草花はなく、シカすら食べない外来種のアメリカオニアザミが多くを占める、著しく歪んだ自然環境が広がっていました。

一見、草原も遊休荒廃地も同じ“自然”のように見えますが、草原は人の手を加えないと成立しない自然環境。年数回の草刈りで、よりよい環境を維持し続ける、人と共に育まれてきた自然なのです。

「かつて草は人間の生活のなかで、畑の肥料や家畜の餌、茅葺屋根など、重要な役割を果たしてきました。しかし今や、日本の草原は国土の1%未満。そこに生息している植物や生物のうちのいくつかが近い将来絶滅してしまうのではないか、と叫ばれているのが日本の現状です」(楠本氏)
そのうえで「ヴィンヤードは、見方を変えると“大きな草原”。ワインづくりをしながら、貴重な生物を守ってくれる存在です」と、ヴィンヤードの新たな可能性に着目します。

 
最も歴史のある⾃社管理畑「城の平ヴィンヤード」が育む豊かな⾃然環境


(シャトー・メルシャンのワインづくりの原点ともいえる、山梨県甲州市の「城の平ヴィンヤード」)

今後の発展が期待される天狗沢ヴィンヤードの一方で、同じ甲州市内には1984年にいち早く垣根式栽培をスタートさせたシャトー・メルシャン最初の自社管理畑「城の平ヴィンヤード」があります。日本最高のカベルネ・ソーヴィニョンを栽培したいという想いで開始されたヴィンヤードが、数十年の時を経て「自然との共生」という異なる観点から、再び評価されています。

ブドウ畑の縁に、日本の絶滅危惧種である「キキョウ」が咲いているような地域は、国内では極めて稀なことだそう。
これについて楠本氏は、「学者レベルで見ても、驚くほど生態系が維持されています。おそらく開墾前から残っていた草原環境を『城の平のヴィンヤード』に転用するなかで、良好な環境が保全され続けてきたのでは」と推測します。
実は、ヴィンヤードが環境保全の一助になっていることが知られはじめたのは、楠本氏らが学会で発表しはじめた2010年に入ってからのこと。

「『城の平ヴィンヤード』は開墾後からの素晴らしい生物多様性のデータが取れていますが、開墾前からのポジティブな変貌を追えるのは『天狗沢ヴィンヤード』ならでは。これは、とても意義あることです」(楠本氏)
ワインに最適なブドウをつくる行為そのものが、草原環境の保全と合致していることが、近年の調査で徐々に明らかになっています。

 
天狗沢ヴィンヤードの勝沼ワイナリースタッフが描く未来、そして想い


(写真左:西澤、中央:勝沼ワイナリー長 田村、右:吉田)

こうした「天狗沢ヴィンヤード」の豊かな変化を、日々ブドウ栽培と向き合う現場のスタッフは、より身近に実感しているといいます。
畑の維持やブドウの栽培管理を行う栽培担当若手スタッフ・西澤龍之介は、「天狗沢ヴィンヤード」にブドウの樹を植えるときから携わる1人。「当時に比べると、見違えるほど緑が広がり、植物の種類も増えていることを、毎日の作業のなかで感じます」と話します。
「天狗沢はまだできてから歴史が浅いヴィンヤードですが、今はいいブドウができるまでの大切な準備期間。除草や畑の整備など日々の作業の積み重ねが良質なブドウづくり、ひいてはおいしいワインづくりにつながると思っています。そして、一見地道に思えるそれらの“作業”が、良質なブドウづくりだけでなく周囲の生態系によい影響を与えていると思うと、自分の仕事をより誇らしく感じますね」(西澤)

一方で、栽培管理の責任者を務める吉田弥三郎は、「私たちは特別なことをしているわけではなく、草が伸びたら背丈を揃え、良いブドウづくりのために畑を管理する。作業自体は、数十年前から変わっていません」と話したのち、こう続けます。
「ただ、ブドウという単一の植物を育てているだけで、生態系まで良くなることを、想像すらしていない時代がありました。ヴィンヤードがもたらす付加価値を楠本先生や研究者の方々が見出してくれて、その意義を知ったうえで取り組むことに、大きな価値があります」(吉田)

昨年まで、世界的に高く評価されている椀子ヴィンヤード(長野県上田市丸子地区)でブドウの栽培管理に従事してきた吉田。
「大きなポテンシャルを秘めた天狗沢ヴィンヤードを、椀子や城の平のようにさらに質の高い畑へと育てていくこと。そして、この地により強固な生態系が築かれることで、将来的に殺菌剤や殺虫剤をさらに減らせることが理想です」と、次なる目標も掲げます。

「天狗沢ヴィンヤード」待望の初醸造ワインが出荷されるのは、4~5年先の見込み。勝沼ワイナリー長の田村隆幸は、「ブドウの生育は想定より遅れている」と話しますが、「日本でのブドウ栽培は、生育が旺盛になりがち。でも、ここは比較的やせ地で、ブドウの樹の生育が抑えられているため、その分、品質の高いブドウができるのでは」と期待を寄せています。

「品質の良い日本ワインを海外の方に飲んでもらうと、みなさんが大抵同じ反応をします。まずは、『日本でもワインを造っているのか』という反応があり、続いて、そのおいしさに驚かれることが多いんです。でも、それはまだ銘醸地ではなくて、隠れた逸品があるレベル。
“日本ワイン”と聞いただけで『おいしそう』と思ってもらえるように、日本のワイナリー全体で、世界へとおすすめしてもらえるワインづくり、ブドウづくりを行っていきたいです」(田村)
そして、今後が期待される天狗沢ヴィンヤード については、「まず目指すところは収穫とそこからのワインづくりですが、その過程で畑や周辺の環境に対しても目配りをしていければ」と語ります。

おいしい日本ワインをつくるための当たり前の行動が、実は環境保全にもつながっていた。そんな妥協のないこだわりが、“自然との共生”という新たな価値を持って、さらに多くの人々へと届いていきます。

※1:CSV…”Creating Shared Value” の略。社会課題への取り組みによる「社会価値の創造」と「経済価値の創造」の両立により、企業価値向上を実現すること。


<プロフィール>

楠本良延さん
国立研究開発法人 農研機構 上級研究員(博士)。専門は植生生態学、景観生態学。農業により育まれる生物多様性の研究に従事。農業生産と生物多様性の両立する研究をライフワークにしている。2014年から椀子ヴィンヤードをはじめ、シャトー・メルシャン自社管理畑の生態系調査を行う。

田村隆幸
シャトー・メルシャン勝沼ワイナリー長。1999年に入社後、ワインの清澄化や酸化抑制、料理とワインのマリアージュに関する研究および商品開発に従事。2005年より海外のワイナリーでの醸造を経験。2013年より原料ぶどう調達業務を担当し、契約農家の個別訪問を通して協力関係を構築。また、自社管理畑の拡大に向けた候補地の探索および農地賃借交渉を通じて、日本の農業の課題を目の当たりにする。行政・地域と協力して各産地の農業の課題解決に取り組む。、2018年9月より勝沼ワイナリー長。

吉田弥三郎
2013年入社。長野県上田市の椀子ワイナリーで約20ヘクタールの畑を管理。当初は80トン前後であった収穫量は今では100トンを超え、多種多様なワイン用ブドウを生産。2019年にワイナリーが建設されてからは、栽培のみならず製造・包装にも従事。ワインづくり全般を経験してからブドウの品質をさらに高めることで高品質なワインができると実感。2021年4月より山梨県勝沼ワイナリーへ配属。30年以上の歴史ある畑のポテンシャルに魅力と責任を感じ、一方では天狗沢のように若い畑の未来に向けて挑戦できる時間を楽しみつつ、ブドウ畑と向き合っている。

西澤龍之介
長野県塩尻市の塩尻志学館高校でブドウの栽培、ワインの醸造を学び2016年メルシャンへ入社。日本一のワイン生産量を誇る神奈川県藤沢市の藤沢工場でワインの製造を経験後、2020年10月より山梨県勝沼ワイナリーへ配属。ワインづくりの歴史が深い山梨の地でブドウ栽培をできることを誇りに感じながら、ブドウもワインも日々勉強中。

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